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旧伊藤家住宅

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2010年6月7日

旧伊藤家住宅

旧伊藤家住宅 1棟

建築年代

江戸時代中期

規模

桁行16.4m 梁行9.1m

構造形式

入母屋造、茅葺

所有者

川崎市

所在地

多摩区枡形7-1-1(日本民家園)

指定

重要文化財 昭和39年5月29日指定

解説

 伊藤家住宅は多摩丘陵南西部の橘樹郡金程村(川崎市麻生区金程)の農家で、江戸時代には名主を勤めたと伝える。建築年代を示す資料はないが、17世紀末から18世紀初めごろの建築と推定されている。
 県内では多摩丘陵地方に多く分布する入母屋造の草葺屋根で、古民家特有の閉鎖的なたたずまいを見せる。例えばヒロマ前面は、18世紀中期以降の民家ならば縁側を設け、広々と開放されるが、当家の場合は柱間の半分しか開放できない片引戸で、しかも窓である。窓には格子が入り、こうした形式を当地方ではシシマドまたはサマと呼んでいたようである。県下の17世紀末以前の民家に共通してみられる装置である。またデイは前面と側面に縁側を持つが、その奥行きは浅く、縁台を固定したような形である。民家における縁側の発生期の姿を示しているのだろう。そしてデイと外部との仕切りは板戸だけで、障子はない。
 当家よりも古い清宮家との外観上の大きな違いは、当家が前面に庇を葺下ろしていることである。これによって深い軒の出が民家特有の陰影に富んだ彫りの深い表情を醸し出し、同時に、後に一般化するヒロマ及びデイ前面の縁側を雨から守るための準備がなされている。
 間取りは江戸中期の当地方民家に一般的な広間型三間取だが、デイが12畳もあって、通例よりもかなり広いのが特色である。
 土間とヒロマ境にはその中央2間に腰壁を入れて両者を仕切るが、こうした形式は多摩丘陵地域の古民家によくみられるものである。
 ヒロマは丸竹を敷き並べた竹簀子の床である。足ざわりがごつごつするし、風の日には隙間風が吹き上げて、床材としては決して好ましいものではない。しかし、現在とは違って、板材を造るのにはたいへんな手間がかかったから、現金収入の少ない農家では板を購入するのが難しく、屋敷の周辺から無償で手にはいる竹をその代用として使ったのだろう。
 デイは唯一畳の敷かれる、最も上等な部屋である。ヒロマや土間は天井がない、あるいはあっても竹簀子天井程度であるのに対し、客座敷であるデイには天井を張り、床の間や違棚をもうけるのが18世紀中期以降の民家の普通の姿である。しかし当家の場合には天井も床の間もなく、より古い時代の様子を伝えている。
 寝室であるヘヤは、外部に対して開口部を持たない、きわめて閉鎖的な部屋である。しかしヒロマとの境は通常の引違戸で、清宮家に見られた、敷居を床面よりも一段高い位置に入れる、いわゆる納戸構えの形式よりは新しい。
 構造は整った四方下屋造で、棟束を立てず、上屋梁の上に張られた竹簀子天井の上は物置としても使用が可能である。
 以上のように、当家は江戸時代中期の中層農家の標準的な遺構として貴重である。

旧伊藤家住宅平面図

旧伊藤家住宅平面図

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