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旧工藤家住宅

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2010年6月7日

旧工藤家住宅

旧工藤家住宅 1棟

建築年代

江戸時代中期

規模

桁行19.2m 梁行11.1m
西面突出部 桁行7.6m、梁行7.1m

構造形式

寄棟造、茅葺

所有者

川崎市

所在地

多摩区枡形7-1-1(日本民家園)

指定

重要文化財 昭和44年12月18日指定

解説

 工藤家住宅の旧所在地は岩手県紫波郡紫波町である。この工藤家の形式でもある「南部の曲屋」は、盛岡を中心とする旧南部藩領という、比較的限られた地域内に分布する特異な民家形式である。L字型の平面を持ち、突出した土間の先端にウマヤを置くが、こうした内厩の形式は北国の民家のものである。特に春の短い東北地方北部では、農耕のためには、牛よりは動きの俊敏な馬を使う方が都合がよかったが、馬は癇が強く、その飼育は牛よりもずっと難しい。そこで厩を屋内に設け、馬の健康状態を常に把握できるようにしたのである。
 しかし現在知られている曲屋の形式が誕生したのは意外に新しく、早くとも18世紀前期ごろであろうと考えられている。それ以前はこの地方でも単純な長方形平面の、いわゆる直屋の形式で、古い家ではこれに曲がり部分を増築して曲屋としているのである。そうしたなかで、工藤家は当初から曲屋として造られたものであり、その創建期の18世紀中期は、曲屋としては最も早い時期に属している。時代が降るにしたがって、この曲がりの部分が大きくなり、また屋根の形も入母屋や兜造として意匠を凝らすようになるが、工藤家では厩も小さく、そして単純な寄棟屋根を乗せるのみで、曲屋発生期の素朴で古式な姿をとどめている。
 工藤家の間取りはなかなか複雑である。ニワに張り出した、大きな囲炉裏を持つダイドコロと、それに続くジョウイが日常生活の中心で、ナンドは寝室、ザシキは客座敷であったことはわかるが、他の部屋の使われ方はあまり明瞭ではない。例えば、カッテはその呼び名からは炊事関係の部屋のようだが、実際にはダイドコロとのつながりが悪く、むしろ寝室的な造りである。またチャノマも、居間的存在であるジョウイとの関係が曖昧である。シモザシキはその名からはザシキの次の間のようであるが、移築前にはその外に面する部分をクチナンド・ネドコという2室に仕切って寝室として使用していたから、もともと寝間的な部屋であった可能性もある。
 建物の外周は土壁だが、内部間仕切には板壁を使う。しかしどの間仕切も内法より上には壁がない。そして天井はどの部屋にも張らないから、家全体がひとつながりの空間のようである。このように、外部に面する開口部を極力少なくするほかは、冬の厳しい寒さへの対処はほとんどなされていない。
 平面の寸法は6.3尺を1間にして、梁行には1間、桁行には1.25間(7.87尺)を基準に柱を割り付けている。そして梁行梁もこの柱割にしたがって7.87尺ごとに整然と配られその上に扠首が架けられる。しかし桁行梁は、上屋柱筋のほかには主要な間仕切り位置に置くのみである。主体部は4周の半間を下屋とするが、上屋・下屋境の柱を省略しない箇所も多く、例えばシモザシキやチャノマの内部には独立柱が立つという、古めかしい構造を見せている。
 以上のように、工藤家住宅は当初から曲屋として建てられたものとしては最古の部類に属するものであり、また外観や間取りにも古式を残していて、曲屋の発生と展開を考えるうえでたいへん貴重な遺構である。

旧工藤家住宅平面図

旧工藤家住宅平面図

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